
北海に鴟吻と言へる魚あり。かしらは龍のごとく、からだは魚に似て、雲をおこし雨をふらすと。このからかさも雨のゑんによりてかかる形をあらはせしにやと、夢のうちにおもひぬ。
鳥山石燕 『画図百器徒然袋 巻之上 雨』
破れ傘にもひと降りの情けとやらもありなんと、いま思いついたような小唄を浮かべながら、涼やかに夜露の匂う戸口に立ち、さて、これも雨の由縁かしらと息を飲む。
梅雨入りというそばから、ある晩、お嬢さま愛用の傘が骨だけになって帰っていた。迎えに出た女中は不穏なものを感じ、すぐさまそれを納屋にしまった。明くる朝に旦那さまや奥さまが見つければ、さぞかし気を揉まれるだろうと案じたのだ。
お嬢さまは居間に入り、糸が切れたようにしゃがみこんでいた。
傘の衣はどちらにございましょうと尋ねると、あの方のところでございましょう、と答えなさる。
お茶を沸かす湯気を眺めつつ、ぼんやりと頬を上気させ、着物の裾を白い指でしきりにつまみ、漬け物を細かく刻んだものをちょうだいな、と云いなさる。
ぽり、ぽり、お嬢さまの漬け物を
しっとりと噛む音に混ざり、台所の格子窓からのぞく納屋のひさしにも雨垂れがわびしげに何やら深い情けを注いでいた。納屋の暗闇を吸った骨の傘が、清らかな衣を荒雲のなかに忘れてきた憂いと恍惚を抱いている。
お湯のほうはいかがなさいましょうと尋ねると、いま呼ばれたら血が沸いてしまいます、と答えなさる。格子窓の外では、南京錠を下ろしたはずの納屋の戸が、ずず、ずず、とお嬢さまの
お茶漬けを啜る音に混ざり、闇色の細い眼を開け、幾本もの骨ばった指が這い出す。かちゃ、かちゃ、とお嬢さまの箸を動かす音に混ざり、納屋のひさしを這いのぼる。傘骨は、納屋のそばに立つ松の古木の枝を伝い、夜雨に向かって身をねじる。
破れ傘は、歳月を経て、雨に濡れる人のこころを知るという。
旦那さまも奥さまも寝静まられた夜のこと……
あの方はどちらのお生まれでしたでしょうかと尋ねると、まとまった雨の季節がとても珍しいそうよ、と答えなさる。
――かちゃ、かちゃ、と女中が皿を洗う音なり。
(おわり)
後書き
posted by sleepdog at 19:15| 京都

|
Comment(0)
|
TrackBack(1)
|
日記
|

|